えちえち体験談

祖父の硫黄島戦闘体験記

2010/06/03 15:07カテゴリ : その他

召集

兵庫県西宮署に勤務中の私に召集令状来る。今回は4回目である。
昭和19年2月6日の事なり。私は3回戦争に行き、九死に一生を得て帰ったのに神は私に又行けと云われるのかと思ったがそんなことは口にも出さぬ。
戦にのぞみ敵に当るのが軍人の本分である名誉なのだ。直ちに署長に報告する。

本署で送別を受け我が家に帰る。
隣近所にあいさつにまわり、女房子供には必ず生きて帰る心配するなと言い聞かせ西宮駅から汽車に乗り善通寺に向かった。
土佐の母や兄弟にも会いたかったが時間がない。直接入隊する。

昭和19年2月9日のことだった。

 

入隊

第4回目の軍隊なり。自分の家のようなもの。
召集されたものは顔見知りのものばかりである。
オイ、又来たかや、おおたのむぞ。過ぎし3度の戦場に思いをはせる。
2月というのに夏物の被服が支給される。南方行きはすぐ知れる。

独立工兵東部第2753部隊が編成された。
隊長は來代良平大尉である。中尉2名、少尉2名、准尉1名主計軍曹1名、その他下士官兵278名の小部隊である。私は兵長だから下士官勤務である。

早速週番下士官を命ぜられた。
忙しいのなんの食事の世話、演習の世話、面会人の世話、目がまわる忙しさだ。
面会人は一人30分で外出は許可にならない。面会所で大勢一緒に面会するのだからつまらぬ話もできぬ
。最後の別れと思うのか面会人の多いこと、妻子あるものばかりの兵だから面会人は特に多いのだ。

 

私の面会

私にも面会人が来た。西宮から妻が2人の子供を連れて面会に来た。
汽車の切符も買えない時代によくも善通寺まで来たものだ。
自分の配給米を食わずに私のためにためて握り飯を作って持ってきてくれた。私は兵長の服を着ていた。

勝幸を草の上にすわらせて智恵子を抱いてやる。
3人が握り飯を食う。何にも話すことなし、死に行く者と見送る者とだ。
ただ顔見合すだけで総てがわかる。30分の面会時間は過ぎた。

勝幸は私の若い時の洋服を仕立て直して着ている。
子供服など売ってない時代だ。智恵子は何にも知らず母の背中で笑っている。
勝幸も父が戦争に行くのを何と思ったであろう。死ぬかもしれぬ父を見て何と思ったか、小さい背中を私の方に向けて営門を出て行く。
振り返り笑う妻。見送る私も涙が出る。
帝国軍人だ、陸軍兵長だ、泣く訳にはいかんのだ。

顔で笑って心で泣いて私は妻子と別れた。妻は私の帰りを待たず病死するのであるが、このときは私にはわからなかった。
私は物事を気にしない方であるが、この時ばかりは気になった。
神様が私に妻との最後の別れをさせてくださったのだと今でも信じている。

私の妻との面会の後、今度は土佐から繁兄が老母を連れて面会に来た。うれしかった。西宮から入隊したので土佐へは帰れず母に会いたいと思っていたが今こそ会うことができた。
来てくれなかったら会わずに戦争に行ってしまうところだった。よく来てくれた。
母と兄とにお礼を言った。30分の面会時間は過ぎ去った。

老いた母は兄と営門を出て行く。別れはつらいものだ。
私も顔では笑っているが心では泣いていた。帝国軍人はどんな時でも泣かれんことになっていたのであるが、独り涙が出てきた。

今まで3度戦争に行ったが、家族が面会に来てくれたことはなかった。
それが今回は妻子も母も兄も来てくれた。どうもおかしい。
私は今回の戦争で死ぬのではないか、神様が面会させてくれたのではないかと思うようになった。妻と別れのような気もした。それがピッタリ当るのであるがこのときはわからなかった。

 

出征

昭和19年2月22日、朝早く起こされた。善通寺は寒かった。さあ出発だ。
今度見送り人はない。見送ってはならないことになっていた時代だ。
汽車で善通寺を発し高松に向かう。高松の桟橋で連絡船を待つ。長い時間待たされる。その間の寒いこと震え上がる、歯がガタガタ鳴る。なにぶん冬に夏服を着ているので寒い。ようやく船が来た。みんな乗る。
船は1時間で宇野に着く。宇野から汽車に乗る。ガタゴトゆれて大阪に着いた時は夜になっていた。大阪方面に出稼ぎ中の兵の家族はホームに来ていて窓越しに面会している。兵は下車を許されず、面会人は乗車を許されないのである。軍律はきびしいものである。

 

谷川上等兵

私とならんですわっている高知県出身の谷川政一上等兵、支那の戦争からずっと一緒だった戦友なり。この人後日硫黄島で戦死するのだがこの時はわからなかった。私が九死に一生を得て復員し清水警察署勤務中彼の妻に会い、谷川上等兵の戦死を知らせた。彼の妻は、夫は帰るかもしれないと待っていたが、私の詳しい話を聞いて戦死と知り、再婚した。

 

富士山

汽車は大阪を出て東に向かう。その夜が明けて富士山が見える。
昭和19年2月23日の朝だ。あの富士山を二度と見ることができるであろうかと私は思いながら汽車は東に向かう。
汽車は東京の品川駅に着く。下車命令が出た。この駅は私に忘れられる訳がない。
過ぐる年弟が戦死し遺骨を受け取りに来た駅だ。
又父が上京してこの駅に下車後病気となり宿舎で死んだ時兄が遺骨をとりに来た駅だ。今私が降りた、戦争に行くために下車したのだ、不思議なことだ。
父の病死した病院の前を通って私等の行軍は行く。しばらくして寺に着いた。この寺で宿泊するということになった。寺の娘さんや家族とトランプなどして遊んだ。外出はできない。3日間休んだ。

 

出発

昭和19年2月26日、突然出発命令来る。
東京港芝浦まで行軍する。桟橋に大輸送船が横付けになっている。歩兵部隊が続々と乗船している。
芝殿丸という大きな船だ南方行き専門の船らしい。我等工兵も乗り込んだ。何千人乗ったかわからんが船内はスシヅメ身動きもできん程詰め込まれた。

この頃日本軍は負け戦であり、南方行きは途中でボカチンに遭い満足に目的地に着く船は少なかった。
海のモクズとなるものばかりの時代である。船は動き出した。私は甲板に立ち沖を見た。黒い雲が立ち込めて大時化の様態を示し、私は不吉な予感がした。
今度行く所はよくないぞ、あるいは私は死ぬのではないかと思う。

船は伊豆の山々を見て南下するばかり、八丈島を左に見て進んでいる。
どこに行くのやらわからん、ジグザグ運行が始まる。敵の潜水艦をよけるためだ。
日本の飛行機も出てきた。空をまわってわれらの警備をしてくれる。
われらはボカチンに備えてイカダの乗り移り訓練をする。少しも遊ばせてはくれないし休ませてくれないのだ。

 

19.3.4

長い船旅を終えて今朝はヤシの木高くそびゆる暖かい南の島に着いた。
これは日本の小笠原諸島の父島である。私は生まれてはじめて見る島だ。二見港に入港する。
我が輸送船の大きいのが港にたくさん居るが、横腹や後部に大きな穴をあけられかろうじて浮かんでいる。戦争の傷だ。魚雷にやられたのだ。
我等はよく無事に着いたものよ。

行軍で島の東側扇浦という部落に行く。3月なのに真夏の暑さである。
民家の納屋を借りて兵舎にしている。東京の武蔵野部隊と同居することになる。同じ工兵隊だからである。

 

父島

山はタコ、ヤシ、ゴム、松、杉その他雑木が生い茂っている。島民も大勢居る。
陸海軍の兵隊も沢山来ており日本の慰安婦が沢山来ている。平和な島だった。敵の近接に伴い我等が増強された訳だ。われらは毎日陣地作りをする。
トンネルを掘ったり橋をかけたり道路を作ったり、敵上陸に備えて作業する。まだ敵は来ない。

 

空襲

平和は束の間だった。ある日突然大空襲に見舞われた。
夢は破られたちまち戦場となる。大村という街は火の海となる、港の船は沈められる焼かれる大破されてしまった。
敵機は去ったがどうものんきに暮らしている訳にはいかない、いよいよ戦時状態になっていく。
毎日陣地作りが忙しくなった。私は兵長だから下士官代理として内勤となり、事務所で事務をとることを命ぜられた。
これから重要な事務をとらねばならぬ、大変である。

 

大波に遭う

各部隊から毎日1名軍司令部へ命令受領に行かねばならぬ。
工兵から私が行くことになった。下士官でなければならぬが、私は兵長だから下士官勤務である。
私等の居る扇浦から大村の司令部までは海を渡って行くか陸を大きくまわって歩くしか行く方法はない。
毎日私は海を渡っていた。

今日は大波である。しかし陸を歩いては間に合わぬ。無理を頼んで小舟に乗った。
船頭に聞いた。大丈夫かと言うと、危ないもし舟が沈んだらフカが喰う、と言う。それでも渡してもらった。

水は舟に飛込むビショヌレになる、ようやく渡って司令部にかけつける。
各隊の下士官は来ていた。エライ人の言う事を筆記して持ち帰った。任務は無事終わった。
それ以来私は早く出て陸を歩いてまわり、舟には乗らなかった。危ないので歩いた。

 

ペリリュー島

ペリリュー島を落した米軍はサイパンテニヤンを落した。
悲報は父島の我等にもとどいた。玉砕という。我等南に向かって黙とうする。
みんな泣いた。サイパン島には日本人が多く、婦女子に至るまで軍と運命を共にしたのである。男は軍に徴用されて戦い玉砕、女子供は海中に身を投じ自殺した。
敵軍に身をけがされるのを恥として自害したのだ。
婦女子が海中に身を投ずるのを目撃した米軍はその恐ろしさにアッと言ったまま開いた口がふさがらなかったという。
黒髪を海になびかせて死んでいくのは悲惨な出来事である。戦争はこんなに恐ろしいものなのだ。
内地の女性にこんな事ができるであろうか。
ガム、サイパン、テニヤン島の女性は当時はアッパレやまとなでしこであるとかおみなえしであるとか言われたのである。
南進命令

われらの居る父島にも空襲は来る。硫黄島が危ない、飛行場のある硫黄島が危ないと誰もが感じた。
太平洋の戦争は硫黄島に主力をおかれた。内地の部隊も続々と行く。父島の我々をそのまま置くはずがない。南進命令が来た。
私は父島のほうがよい、硫黄島に行くことはいやだったがそんなことは許されぬ。喜び勇んで行く風をよそおっていた。

 

父島を出る

昭和19年6月30日、その夜我らは軍装をして暗闇の中を出て行く。
扇浦港から上陸用船に乗り込み、住みなれた父島を後に、二度と帰れぬ硫黄島に向かった。
昼間は敵に見つかるので夜間を利用して出発した訳なり。我等をのせた船は出た。
二見港を後に南に向かって走る。私は郷里を出る時妻子に生きて帰ると言って出たが、どうも生きられぬような気がするのである。
空が明るくなった。船は全速で走っている。何時とはなしに日本の飛行機が一台と駆逐艦が出てきて船を守ってくれる。
ジグザグ行進が始まった。敵の潜水艦をかわすためなり。どうか無事で硫黄島に着くよう祈る。
ボカチンをやられたら泳げない私は死ぬより外に道はないからである。

藤邨清一等兵と二人で甲板に出て話しながら行く。親兄弟妻子のことを考えながらじっと沖を見ている。
これは誰も同じことを考えているのではなかろうか。南の方に島が見えてきた。
あれが硫黄島だ。海面に平ぺったい島が絵のように浮かんでいる。

昭和19年7月1日、船は硫黄島の南海岸に着いた。
兵は上陸する。荷物の陸揚げを手伝いする。今空襲が来たら全滅だと思いながら仕事をしたが幸いな事に来なかった。
父島で一緒に居った武蔵野部隊の世話になり、横穴に入り食事もご馳走になる。顔見知りばかりだ。我等も戦場に来たのだ。

 

7月2日

その夜穴の中で夜を明かした。われらが昨日上陸した事は早くもサイパンの敵に知れた。
空襲が来た。地方人も沢山居るのに空襲は物すごい。
地方人も兵隊の横穴に逃げ込む。病人などが困った。私たちの近くにお産をした女の人が居った。自分は動けず赤ん坊と共に自分の家にいた。あわれなり敵の機銃掃射がはじまった。直径5寸ぐらいの木が横に千切れて飛ぶ恐ろしい奴だ。
銃でなくて砲という方が本当だ。爆弾は所きらわず落す、火災が起こる、物質は焼ける、兵は死ぬ。我等陸軍はわずかしか来ていないが応戦する。
空中戦も始まる。地獄のようになった。

 

送還

数十分で敵機は去る。住民は危ないので内地に強制的に引き揚げさせられる。
着の身着のままで便があるごとに内地に送られる。最後に駐在巡査も引き揚げた。
島は男ばかりで女気はない。牛や豚等は軍の食料となった。

 

部隊来る

毎日毎日内地から新しい部隊が来るようになった。野砲も来た。
高射砲、ロケット砲、通信隊、憲兵まで来た。戦時態勢となっていく。
米軍の空襲も毎日定期的に来る。B24という大型機が1万メートルの上空をやって来る。ブルンブルン音を出してくる。沢山銀色に光ってやって来る。
我が高射砲部隊が一斉に火を吐くが飛行機まで弾丸はとどかず飛行機の下でバンバン炸裂する。敵は平気でブンブン飛んで来る。どうする事もできぬ。

それから数日たって大空襲が来た。次から次へと波状攻撃だ。
ドスンドスン大型のバクダンを落す。上空には何時でも敵機が居る状態だ。バリバリドンドンザーザー雷のような爆弾の雨の音、火柱上る、大木も根が上になって空から落ちて来る、岩石も降ってくる、地鳴り震動する、恐ろしき戦場となる。敵さん落すだけ落し撃つだけ撃って帰って行った。
島には火災が起こり弾丸の上に爆弾が落ちたのでパチパチ小銃弾のように独りで飛んで来る、危ない危ない近寄れない。
やれやれ今日はこれだけか命が助かったと私はホッとした。それも束の間であった。たちまち全員顔色変えた。

遠くの海面に敵の大機動部隊が現れた。
それ今度は上陸ぞ、これは大変だと思う。陣地は出来ていない。今上陸せられたら勝つ見込みはないが戦争だから止むを得ん。各部隊戦闘準備に入る。

 

諸君の命はもらった

我等の小隊長、宮崎圓(マドカ)少尉は小隊を集めて訓辞する。
敵は上陸するものと思われる。諸君の命はこの小隊長が今日只今もらった。
皇国の為戦って死んでもらいたい。もちろん小隊長も諸君と運命を共にすると言った。私は小隊長に命をもらわれた。生きて帰ることは出来なくなった。
軍人は戦場に死すは本分であるが今死にたくない、生きて妻子に会いたいと思ったが顔には出さず喜んで死ぬような顔をしていた。皆同じ考えではなかったかと思う。求めて死にたい奴は居らんと思う。

 

墓穴を掘る

小隊長に命を捧げた我等は自分のはいるタコツボを掘る事になった。
各自この自分の掘った穴に自分がはいって敵の上陸部隊と戦い、その陣地で死ぬのだという墓穴である。
胸まではいり、鉄砲で敵をねらい射ち一歩も退いてはならぬのだと言う。
みんな掘る掘る、首だけ出る位掘った。さあ来い我等は日本軍人ださあ来いと待ちかまえた。
私も生きられぬとわかれば見事に死んで見せるぞ。妻子には生きて帰ると言って家を出たがもはや生きる望みはなくなった。
止むを得ん。許せ、父は死ぬがお前らは地下から守ってやるぞと心で叫んだ。今日までの命であった事を深く心でわびた。

 

攻撃始まる

7隻の敵艦隊は白い姿を見せて近付いて来る。
砲門を開いた。物すごい音と共に砲弾が落下する。それが炸裂する、この音が又物すごい。
鉄片が飛ぶ音ウナリて飛ぶ。何十もある砲門から一斉に砲弾が来る。
草も木も皆飛んでしまう。空襲よりまだ恐ろしい。
火薬庫も飛行場も火の海となる。上陸するまで我等工兵は手も足も出ん。
私はどうせ今日死ぬのだと思うから頭を出して敵の軍艦を見ていた。

ますます激しく砲弾が落ちてくる。火薬庫の上にも砲弾は落ちたので小銃弾がパンパン四方八方に自ら飛び散るようになった。
数時間射ちまくった敵弾のため、島は穴ばかりになった。大火災は至る所に起こった。

 

上陸か

敵は急にピタリと砲撃をやめた。それ上陸ぞ、我等の番が来たぞと応戦準備にはいる。全員生きる望みを絶たれた。なぜ俺は4度も召集を受け最後にこの南の島で死なねばならぬのか、何の罰か、まだ1回も戦争に行かぬものも居るではないか。
神は人間を救うと聞くが私は神に見はなされた。内地に残した妻子はどうなるのか、そんなことを考えたりしながら敵の上陸してくるのを銃をかまえて待った。

 

上陸せず

敵艦は上陸する気配なし。我等は今か今かと待っている。
艦隊はクルリとまわり後向きになって帰って行くのだ。どうした事かアッケにとられた。
上陸と見せて引返した。見る見るうちに水平線の彼方に消えて行ったのだ。的が外れた。
やっぱり神は助けたもうたぞ。みんな安心した。小隊長に差し上げた命は又返してもらった。ひとまず安心した。次はいつ来るかわからない。支那の戦争とちがい艦砲でやられるから恐ろしい。

 

移動

我等工兵部隊は他部隊の陣地を借用して住んでいるので自分の陣地を作らねばならぬ。そのため北部落に移動する事になった。
小さな島でも歩けば遠い。行軍で南海岸から北部落まで歩いた。
今空襲せられたら命はないと思いながら歩いたが幸い空襲はなかった。

 

陣地作り

われらは北部落に来たが陣地がない。作るまで仮寝する。
ヤシの木の下、タコの木の下、バナナの下など夜露をしのぐところに自分の分隊の寝るところを作る。
寒くないからどこでも眠れるのだ。私らはタコの木の下であった。分隊長は小池軍曹であった。毎日工兵独特の横穴陣地を掘る。
ツルハシでおこし、スコップでモッコに入れる。それをかつぎ出す。
裸でフンドシ一つで土方をするのだ。汗が身体中流れる。体に土が散りかかる。
ジュンと鳴って身体に付く。痛い。土は火山島だから熱い。
我等も米不自由水不自由着替えなし風呂なし、木の下にごろ寝で暮らすのだ。
飲料水は雨水を天幕に受けてそれを使う。早く自分等のはいる穴を作らんと空襲が来たら大変だ。
地下30メートルないと空襲にやられる。高いガケが至る所にあり、それを利用して横に穴を掘っていく。
平地は陣地にならん。私は西海岸に最近来た歩兵部隊の穴掘り指導に行かされた。
空襲が毎日来る。歩兵に穴を掘らせる。火薬で破壊して掘り進む。
地中で他の方面から来る穴と連結せねばならぬ。そのような事は工兵でないとわからん。
右に掘れ左に掘れ上に掘れ等教えて掘り進む。歩兵は私の言う事をよく聞く。
私も詳しくないが歩兵は私の言う通りに掘って行く。毎日私はここに通った。

 

人間頭飛ぶ

ある日相変わらず西海岸の歩兵の部隊に指導に行った。
40メートルくらいのガケを横に掘る。昼食後の休み時間皆穴の外に出て休む。
岩かげで雑談していた。その時空襲警報が出た。それ今掘った穴へ走れと歩兵に言ったが、仕事中は命令だから私の言うことを聞く歩兵も休み時間は私の言う事を聞かない。逃げる必要はないと言って動かぬ。
ここには落さんと平気である。私は危険を直感したので歩兵と別れ走った。横穴に飛び込んだ。
その時早くも飛行機は来た。爆弾は地ひびき立てて落下した。黒煙と共に火柱がたち、砂煙で何も見えなくなった。
飛行機は海上に去った。私は今別れた歩兵が気になり走って行って見た。誰も居らぬ。地形が変わっている。土煙が残っている。
私はオーイオーイ叫んでみたが返事がない。

それもその筈なり。全員死んでいる。
探してみると、あちらにもこちらにも散り土にまみれて居る者、半分埋まっている者足や手のないもの沢山だ。
歩兵も沢山来た。死体を数えてみると一人足らん。探すうち、はるか遠く飛ばされて下半身を土に埋められすわっている。
よく見ると頭がない。頭の頂上の皮が破れて頭がい骨が全くない。
皮には目も鼻も耳もついている。こんな死に方は見た事がない。支那の戦争以来死んだ人をずいぶん見たが、これは珍しい死に方である。
私の言う事を聞いてあの時逃げてくれたらこんな死に方をせんで済んでいたものをかわいそうにと思った。
人間は誰でも他の者の言う事は聞きたがらんものだ。
それがわざわいを招いたのだ。歩兵の看護兵が死体の頭の皮の中へ脱脂綿を詰め込んで頭のカッコウを作り、その上からホータイをした。
元の通り頭は出来たが中身は脱脂綿である。このように人間の頭の皮が残り中身のないのを見た事がない。
人間の死に方には色々あるものだと思う。看護兵の措置は戦友に対するせめてもの思いやりだと感じた。

 

予感

予感というものはある。暑い夏の夜だった。
私は疲れた身体をタコの木の下に横たえて眠った。ゴロ寝た私は赤痢で腹痛がして便所に度々行かねばならぬ。
今夜はどうも空襲があるような気がする。となりに眠っている仲良しの藤邨一等兵に、おい横穴の掘りかけに行って寝んか、どうも変な気がするから、とゆり起こした。
藤邨一等兵は、私は行かんでありますと言って起きない。やむなく私は一人で行った。10メートル位はなれた掘りかけの横穴にいって横になったその時だ。

 

爆弾

ただ一機陸地すれすれに日本の方向から飛行機が来てドカドカドカーンと沢山の小型弾を落して南方に去った。
私は驚いた。分隊は無事かと立ち上がった。兵長殿、兵長殿、分隊全部やられました、叫んできた兵がある。
見れば頭に血が流れて物すごい。早速傷の手当をしてやる。私は小隊長宮崎少尉のところに飛んで行き報告する。
小隊長と共に分隊のところに来て見ると小隊全部やられている。
暗くてよくは分からんが、4個分隊居らんようだ。1分隊、3分隊、4分隊、衛生分隊、全部吹き飛ばされている。
2分隊は無事である。岩かげにいた2名は助かっている。30名ばかり全滅である。
宮崎圓少尉は、今晩は暗くてどうもならんのう、夜が明けたら良く探してみよう、という事になった。
生き残った兵の手当をして引きあげた。どうもならず手のつけようがないのだ。火をつけて探すことはできぬ。
敵に陣地を知らせることになるので夜間火をつけて仕事をする事はできぬのだ。戦争とは誠に恐ろしい事である。

 

葬式

翌朝早く、宮崎少尉と生き残った4名の兵と2分隊の兵とで死体を探した。
千切れた死体を集める。全部集めて硫黄の吹いているところを掘って埋める。藤邨一等兵が居らぬ。
いくら探しても死体が見付からぬ。一同あちこち探した。居った居った、20メートルくらい西方、バナナの木の下の谷間に土砂と共に打ちつけられて下半身を埋め、すわったようになって死んでいる。
もはやどうも出来ぬ。その場を掘って葬ってやった。小隊長宮崎少尉は地方では神官であるから、高天原を祈って葬式をした。我等も手を合せた。
小隊長は、藤邨も一緒にここに葬ったらよかったのうと涙を流した。

小隊の大部分は死んだが、私はこの日も無事に生きていた。
予感で助かったのだ。分隊長の小池軍曹もこの日死んだ。私の任務もますます重くなった。

 

不発弾

又ある日、矢野軍曹と私は敵状偵察に行った。夜間で暗い。
目の前に大きな砲弾が落ちた。私と矢野軍曹は土砂に埋まった。耳も聞こえず目も見えぬ。気が付いたが死んでいない。顔見合わせて笑った。
その砲弾は地中深くはいったが不発であった。もし爆発していたら私等二人は木っ端みじんであり二度と帰らぬ人となっていたのであるが、このときも私は助かった。

 

硫黄島状況

硫黄島は北方に北硫黄島、南方に南硫黄島があり、その中間にあるのが我等の居る硫黄島なのである。
北と南は無人島である。我等の居ったのは、縦6キロ、横3キロ位の島である。
これに2万あまりの陸海軍が居ったのだ。東京から約1050キロ位、火山島で中央部から煙を噴き上げている。
一年間に10センチ位盛り上がっている。西にスリバチ山があり、150メートル位の山でパイプ山と我等は呼んだ。
中に火口がありパイプのようになっているので、そうよんでいた。

 



水はない。川もない沼もない。雨水を利用して飲料水にするのだ。
毎日スコールという雨が降る。5分間位だが大雨となる。終わると晴天となる。兵は天幕に受けて使う。野原も海面も湯気が立っている。海水は湯になっている。
その箇所は魚も寄り付かない。地面はどこにすわっても尻があつい。
湯気のところへ飯盒を埋めておくと飯が出来る。

 

樹木

タコの木というのがある。一本の幹から枝が沢山出て、それが全部地中にはいり、いずれも根が出て成長する。
数十本で幹を抱き上げているものもある。タコが頭上に幹を差し上げたようになっている。
これの身を打ち割り、中の白いところを喰うとうまい。その他バナナ、パパイヤ、ヤシ、ネム、ラワン等があり、後に兵の食料となった。
ヤドリ木などは飯盒で炊いて喰うたが、ガシャガシャして喰えなかった
。草も木も兵が喰ってしまった。

 

農作物

野菜は出来ない。畑にはパイナップル、麻薬のコカイン、野菜のゲランなどがあるが人間が喰えない。
常夏の国であるから一年中草木は成長している。

 

生物

蛇やトカゲ、ムカデ等全然いない。
地面が熱いので冷血物は生きられんのであろう。鳥はメジロが沢山居る。
カラス、スズメ等居らない。メジロは人間を見ても逃げることを知らないので、兵はよくとって焼いて喰った。

 

空襲

空襲は毎日来る。必ず来る。定期便と名をつけていた。
B24という大型の飛行機で、銀色に光り輝きながら大編隊でブルンブルンと飛行して来る。島の上空から一斉に爆弾を落す。物質は飛ぶ、兵は死ぬ。
大損害である。日本の高射砲は飛行機まではとどかない。下の方で炸裂するだけである。敵さん平気でやってくるのだ。
日本の高射砲のとどかぬように1万メートル以上の空を飛んで来るので撃ち落すことは出来ぬ。1トン爆弾を落されると、地面に10メートル直径位の大穴が出来、土砂が中空から降ってくる。
物すごい音だ。火災は起こる物資は吹き飛ぶ大損害である。

 

艦砲

昭和19年秋となる。敵の機動部隊が多く来るようになった。
毎日来る。島を打ち砕いて帰って行く。兵は死ぬ、物資は吹き飛ぶ、空襲以上の損害だ。地中の陣地に居っても身体が上下にゆれる。
兵は少なくなり、米も水もなくなり大変だ。兵は腹がへるので米を盗んで生のまま握ってかじる。
それが非常にうまい。見付かったら銃殺せられる。軍法会議も何もない。刑は直ちに執行せられるのだ。恐ろしい事だ。

 

明治節

昭和19年11月3日、明治節だ。内地の部隊に居ると外出日だが、軍隊は戦争が本分であり、戦争中は外出など全くない。
米軍は日本の祭日を良く知っている。祭日は特に多く爆弾が来る。その後必ず艦砲射撃がある。陸地は大損害である。
空襲より砲撃の方がまだ損害が多い。兵も物資も大損害を受けた。

 

親子弾

私はある日、兵5名を連れて北部落を歩いていた。
その時日本の方角からただ一機飛行機が近付いて来る。私は敵と直感して兵と共に岩かげに身をかくした。
敵は兵がいないので親子弾を落して逃げた。この爆弾は恐ろしい奴だ。1発が10発になり、10発は数千発に砕けて飛び散る。100メートル四方の生物は必ず死ぬという奴だ。
飛び散る鉄片のウナリは物すごい。私等はこんなのは初めてである。もう少し見付けるのがおそかったら…。われらは岩にかくれて助かった。
全員死ぬところであった。私が早く見付けて岩のかげにかくしたので全員助かった。毎日の重労働で兵は骨と皮となり、それでも文句を言うものはなく、陣地作りをやっている。弱いものは死ぬ。強いものは生き残る。
死んだらその場に埋める。生きていれば重労働だ。

 

工藤軍曹死す

工藤という軍曹が居った。彼は兵を情け容赦なくこき使う。
上官の命は天皇の命だと言う。兵はよく思わないがやむを得ず従っている。
彼は病気になった。岩のかげに寝ていた。軍医も居らぬ南洋の島で、誰にも看取られず淋しく死んだ。その場に埋められた。
悪いことをすると罰があたるという。本当だ。天皇の命も通用せず死んだ。人間死ぬ時は如何なる悪人も真心になると言う。
彼も、兵をいじめたことを後悔して死んだことであろう。あわれである。

 

新年

昭和19年も終わり、硫黄島にも春が来た。新年である。昭和20年の正月である。
日本本土をはなれて1000キロあまり、餅もない、酒もない、金もない、買う店もない正月だ。
敵機は毎日来る。夜も来るようになった。我等を眠らせない神経作戦である。
新年おめでとうと誰も言わない。めでたくないのである。
敵来る

昭和20年2月17日、私は10人くらいで高射砲の陣地作りの作業指導に行った。
父島で世話になった砲兵隊で顔見知りばかりなり。昼食をご馳走になって雑談に花を咲かせていた。
その時、この部隊に電話が入る。敵機動部隊北上中その数約800なり、である。さあ大変だ、来るものが来た。戦争だ。敵は内地に行くのでない、硫黄島に来たのだ。
軍人である我等、恐ろしいだの命が惜しいなど口には出せない。みんな喜んでいるような顔はしているが内心はおだやかでない。次々と電話がはいる。南硫黄島付近を北上中という。もうすぐ硫黄島に来るのだ。
この部隊の兵も我等工兵も少しも騒がぬ。作業を続行する。夕方終わり、我が陣地に帰る。帰っても誰も騒いでいない
。みんな平気な顔をしている。その夜は穴の中で寝る。朝になった。

 

包囲さる

昭和20年2月18日、私は目が覚めた。穴の外に出て海上を見て驚いた。平常驚かない私であるが、この時ばかりは驚いた。
海面いっぱい敵の軍艦である。島は完全に包囲されている。恐れていたものが遂に来た。私は生まれてこれほど多い軍艦を見た事がない、聞いた事もない。
大部分の艦はいかりを下ろしている。大本営発表では、米国にはもはや軍艦はない、爆弾もなくセメントの爆弾を落していると言うが、軍艦が無いどころではない。
大艦隊が目の前に居るではないか。戦艦は白い40センチ砲を6門揃えて島に向けている。大艦隊は全部砲身を島に向けている。
どの艦も一発も撃たぬ。不思議である。私は全員に知らせた。

 

応戦準備

我等工兵もこの時とばかり武器も弾薬も飲料水も、なんでも地上にあるものは全部地下穴に引きずり込む。
敵は撃ってこない。飛行機も全く飛ばぬのだ。嵐の前の静けさである。無気味である。我方も一発も撃たぬ。実に静かである。
おかげでわれらは地上にあったもの全部地下に引きずり込んでしまった。

硫黄島最高司令官栗林忠道中将は全部隊に命令を下した。
「諸士待望の敵来る、諸士は太平洋の防波堤となり最後の一兵たりとも尚ゲリラとなりて敵をなやますべし」である。
最後の一兵たりとも戦えとは聞いたが、最後の一兵となっても死なずゲリラとなって戦えと言うのである栗林中将は玉砕を覚悟でこのような命令を出したものと思われる。
胸中は察しられる。2万の部下と共に死ぬつもりであったかもしれない。

 

攻撃始まる

24時間何事もなくすぎた。敵さんこのまま帰ってくれ、頼む、と思ったがそうはいかん。
島に向けていた40センチ砲以下一斉に火を吹いた。島には大地震が起こった。火柱は天に届くと思われるようだ。
黒煙は島を覆う、鉄片はウナリを生じて四散する。直径1メートルもあるラワンの大木も根の方が上になってふっ飛ぶ。轟音は雷が100も200も一度に落ちたような物すごさである。地下30メートルの穴の中でも身体が飛上る。
正にこの世の地獄となった。

続いて母艦からグラマン機が飛出して来た。その数の多いこと空一面であり、昼間だのに暗くなった
。雲も見えないほど多く飛んできて機銃掃射をする。小型の爆弾を無数に落す。兵隊を見れば地面すれすれまで下って追いかけ必ず殺す。
草も木も空中高く舞い上がる。近くの母艦から来るので、入れ替わり立ちかわりだから空にはいつも同じくらいが舞っている。空いっぱいである。
日本の機銃のようにトントントンドドドウなどの音でない。何十機も一度に掃射する音は、雨のようにザーザーである。スコールが降るような音である。
何物も残さず地上のものをなぎ倒すのである。

次はサイパンから大型機B24が何十機もそろってやって来る。
ブルンブルンとうなりながら来る。銀色である。1万メートル以上の空を飛んで来るので、日本の高射砲などとどかない。
下の方でバンバンと広がるだけだ。敵さん日本の高射砲の高さを計算に入れて弾丸のとどかぬ高さで来るので平気で飛んで来る。
戦闘機も日本は全部やられているので手も足も出ない。島の上に来た奴は1トンという恐ろしい爆弾を落す。次から次と落すその音は恐ろしい。
気の弱い奴は気ちがいになる。ヒューヒューと音を立てて落ちる。続いて大地震が起こる。炸裂する。岩石も土砂と一緒に中天に舞い上がる。そして落下する。直径10メートル、深さ5メートル位の穴が地面に出来る。
人間が居れるような状況にない。まるで地獄である。
連絡等で外に出た日本軍は必ず殺される。夜間を利用して出るより方法はない。

 

夜間の攻防

夜間は敵さん照明弾を数多く打ち上げ、落下傘につるした。
照明弾は空中に長いことあって地上を照らすのである。次から次と夜通しで島全体を昼のように明るくする。
歩いていると空と海から良く見えるのですぐに弾丸が飛んで来る。手の出しようもない。
これからどうなるかわからんが、命のなくなるのはわかっている。

運が悪いのだ。
内地勤務であれば、こんなことにはならないのになあと思う。どう思ってもしょうがない。
今は戦わなければならぬ。我が軍は毎日死んでいく。
敵は多い。上陸した奴をやっつけるよりない。我軍は彼等の上陸を待って一発も撃たずに地中に居るのだ。命令があるまで我軍は撃てないのだ。
一発でも撃てばたちまちむらがる飛行機にやられる、全滅する。
敵に我軍陣地を知られたら大変なんだ。地中30メートルに我軍全部無事なのである。今はただ彼等の上陸を待っているのである。砲弾は物すごくなるばかりである。
硫黄島は敵の砲弾によって打ち砕かれて、方角もわからなくなった。目標物が全部やられたら方角はわからなくなる。
目的地にいけなくなる。10日間引続いて撃ちまくるのであるから、島に砲弾の当らぬ所はない。草も木も一本もなくなった。
支那の戦争もこれ程ひどくはなかった。

米軍も10日間撃ちまくって日本軍の抵抗がないので、全滅したと思ったかもしれん。
上陸気配が見え出した。地中にある日本軍は生きていたのだ。

 

上陸開始

昭和20年2月27日、砲火をあびてから10日目に敵は日本軍全滅と見て南海岸に上陸を開始した。
小舟で近づく米軍を水ぎわまでよせておいて、スリバチ山の砲兵は一斉に砲火をあびせ敵を全滅させた。
この戦には勝った。栗林中将は敵が上陸するまで攻撃してはならぬと命令していたのに、現地の軍は命令を無視して攻撃して全滅せしめたのである。

後が悪い結果となったのである。
我軍の健在を知った敵はうかつに上陸しない。南海岸一帯は前にも増して飛行機がむらがり爆弾の雨を降らしはじめた。
砲弾も集中した。ムチャクチャの攻撃である。恐ろしいことだ。しらみつぶしに撃ちまくる。地形が変わってしまった。

 

遂に上陸

今度はムチャクチャ撃って爆弾の雨を降らせ、島を打ち砕いてから上陸を開始した。
敵の一部は上陸してしまった。空と海とをとられている我軍は都合がわるい。
兵隊や武器弾薬の補給は出来ない。敵の方は毎日増加するばかり。
日本軍は昼間は出られない。
出ればたちまち空からやられる。夜間を利用して斬込作戦に出た。各隊それぞれ5、6名くらいで斬込部隊を作り、暗夜に敵の陣地に斬込をかけるのである。
幕舎でも兵器でも何でもよい、敵のものは全部爆破するのだ。
斬込というのは刀で斬込むのではない。爆弾を持って敵陣に飛び込むのだ。初めのうちは非常に成功したが、敵に知れたのであまり成功しなくなった。
誰も帰って来なくなった。全部やられるのだ。
米軍もマイクを戦場に仕掛けて、我軍が斬込むのを手にとる如く知り、時期を見て機関銃の一斉射撃をあびせ全滅させるのである。
マイクの事は我軍も気付かなかった。それでだいぶやられたのである。我軍も手をかえ品をかえ攻撃したが、皆やられた。
敵は毎日増加するばかり、我軍は毎日死んでいくが、それでも斬込より他に勝てる方法がない。
毎夜各隊各様に斬込をかけるのだ。私は神風が吹いて今に日本軍が勝つだろうとも思っていた。

工兵戦闘

我等工兵は歩兵のように戦闘はせんと思ったら大まちがいで、硫黄島のように包囲されては、工兵でも海軍でも砲兵でも軍人である限り戦わなければならないのだ。
どの部隊も毎日斬込に行く。工兵は爆薬の取扱いには慣れている専門家だ。
20キロの爆弾を自分で作って背中に負い、我が身もろとも敵陣に飛込むのを斬込と名付けて実行した。帰る者はなくなった。毎日死んでいく。
私たち四国の部隊は半分父島に残り半分が硫黄島に居るので、非常に少ない人数だ。隊長の来代大尉は、敵機が来ると穴の中で震えていたが敵機が去ると穴から出て大きなことばかり言う臆病者だったが、敵の上陸する前、病気と言って師団の命令をもらい、飛行機で内地に引きあげてしまった。
隊長が内地に帰った後には父島から中尉の人が来ることになっていた。早く来ればよいと私は思って待っている。
ある日工兵が来たとの情報があった。しかし来たのは兵のみである。中尉は父島を出る時船を爆撃されて死んだという。
我等の部隊のとなりに居った鹿児島の歩兵第145連隊(池田部隊)付の工兵少尉が一人我隊に来た。これで少尉2名、准尉1名、後は下士官と兵のみである。(石坂少尉、宮崎圓少尉)

 

第1回斬込

工兵も軍人であるから戦わなければならぬ。
夜間を利用して敵陣に斬込に行かねばならぬことになった。最初に斬込む者が決まった。我等工兵部隊に属していた輜重兵伍長以下特務兵6名である。
皆さん直ちに2階級進んだ。班長の佐賀謙好伍長は曹長になった。特務兵は上等兵や兵長になった。嬉しそうに新しい階級章を付けて斬込準備をしていた。
その夜20キロ爆弾を背負って敵陣に斬込んで行った。ただの1名も帰ってこなかった。

戦争とは本当にむごいものである。人の命を紙くずの如く殺すのである。

 

第2回斬込

第1回は2階級進級して死んでいった。第2回は進級はない。私も行かなければならなくなった。
天皇のため国のため、東洋平和のため死ぬのだが、私は死にたくなかった。
しかし喜んで死ぬような顔をしていただけだ。班長は矢野千郎軍曹、私を入れて5名であったが兵の名前を忘れた。
20キロ爆弾を作った。夜になった。各人が背負った。明朝天山に来る敵の戦車に飛込み、戦車諸共我が身も死ぬのである。
命令を受けて出発した。走ったり伏せたり止まったりで、ようやくにして天山に着いた。横穴に入る。朝まで戦車を待つことにする
。泣いても笑っても明朝は死なねばならぬ。色々と頭に浮かぶ。身内の事、妻や子供の事思い出される。
やがて穴の中で朝が来た。今か今かと戦車の来るのを待つ。戦車が来たら命はないのだが待たねばならぬ。いくら待っても戦車が来ん。戦車が来ないのにどうも出来ぬ。
一同顔見合わせて待っている。

不思議なことに、私は過去3回の戦争でも絶対に死ぬはずの時に生き残った。
今回も戦車が来んのでまだ生きている。母や妻子が神に祈ってくれるおかげかとも思う。
いくら待てども戦車は来ぬ。夕方まで待ったが戦車が来ないので引きあげる事になった。みんな喜んだ。北部落に引きあげて帰った。腹ぺこだ。
昨夜から何にも喰っていない。穴の中では、よくも生きて帰ったなあとみんな不思議がり、喜んでくれた。

 

第3回目の斬込

元山飛行場はとられ、飛行機はただの一機もない。天山に戦車は必ず来る。
どうしても天山で敵を食い止めんことには司令部も危ないのだ。われらは斬込に行って戦車が来ないので飛込まず帰ってきたのに、又行けという。
一度死にそこなった者は生きて帰ってはいかんのかもしれない。
今度こそ、行って死なねばならぬ。

分隊長  矢野千郎 軍 曹  高知市○○乙○○

隊 員  高橋利春 伍 長  高知県○○郡○○村○○

隊 員  西森道晴 上等兵  高知県○○郡○○○村○○

隊 員  横山義範 上等兵  高知県○○郡○村○○○

その他6名であったが名前は忘れた。今思い出せない。
夜になり20キロ爆弾を背負い、銃を持ち、残りの兵に見送られ出発した。
二度と帰らぬつもりであった。海上から撃って来る。機関砲も物すごい。黄燐弾が落下する。危なかった。
天山の手前に、広島の藤原部隊が居る。歩兵である。この部隊の居るところに来た。各々20キロ火薬を背負っている。天山に斬込に行くと言うと歩兵は非常に喜んで、工兵来てくれたか、しっかり頼むぞ、将校まで出てきてありがとう、頼むぞと礼を言う。
しかし我等は明朝死なねばならぬのであり、ありがたくなかった。
歩兵に別れを言って我等は天山に向かって歩く。海から盛んに弾丸がとんで来る。ようやく天山についた。

 

天山着

今夜は我等工兵10名のみ斬込み死ぬものと思って出て来たが、同じ工兵の他の分隊が出て来た。
我等の後を追ってきたのだ。私は只事ではないぞと直感した。我等が出発した時残っていた分隊も出て来た。全員死ぬつもりだと思った。
いずれにしても我等工兵は生きては帰れないのだ。戦車が来れば飛込むのだ。我が身と共に散るのだ。
死にたくないが止むを得ん。戦争に勝って内地に帰ることはないのだ。死ぬのだと思った。

 

陣地入る

われらの後から来た佐伯分隊は、天山の横穴陣地にはいる。軍医も海軍も砲兵も、憲兵まで来ている。そこへ我等工兵が割込んだのでいっぱいになる。
連日の戦争で穴の中は死体でいっぱい、入口も出口も中の方も死体は山になっている。われらは友軍の死体を踏んで出入りする。
あわれなれど戦争だから止むを得んのだ。

 

現地入り

われらは穴の中で少し休んだ。明朝斬込む場所を話し合う。そして決定した。
それでは現地に行こうと穴を出る。我軍の死体を沢山踏んで出て行く。
グニャグニャする、気持わるい。坂を登って行く。月が出ていた。明朝死ぬなんて思えない静かな夜だった。
各人自分のはいる穴を掘るのだ。タコツボといって縦に掘るのだ。夢中で掘る。このタコツボから戦車めがけて飛込むのである。

 

佐伯軍曹の死

我等が一生懸命に穴を掘っていると、佐伯軍曹が見回って来た。
私は軍曹の顔を見ておどろいた。月の光で見る顔は青白く、目はつり上がり口はゆがみ、この世の人とは思えぬ。私は思った。軍曹は死相が出ている。
この人は死ぬと直感した。果せるかな、その夜おそく戦死した。一番先に死んだ。人間死ぬ前は人相が変わる事を知った。(佐伯重見軍曹だ)

 

内海兵長死す

佐伯軍曹の分隊に居る内海光男兵長も、この夜戦死した。銃弾が盛んに飛んで来る、それにあたったのだ。

 

西森上等兵戦死

我等の分隊は夜通し穴を掘り、朝になった。穴は出来たが、フタを作らねば空から飛行機で見られて全滅だ。
各自それぞれ自分の掘った穴にフタをするため、木の枝や草や土のカタマリなど集めてくる。その時、高知県梼原村出身の西森道晴上等兵が、アイタヤラレタと叫んで右手で左手首を押えている。
私が直ぐとなりに居ったので走りよって見ると、小銃弾で撃ちぬかれている。血が流れている。ホータイを出してしばってやった。
私は西森とは特に親しかったので、矢野軍曹に相談して兵を1名つけて西森を下の横穴陣地に行かせた。
そこに軍医も居るから診てもらえ、そのくらいの傷では死にはせんと言い聞かせて下がらせた。西森はすまんと言って下がって行った。
まもなくわれらは戦車に飛込むのであるが、西森の方がよかったかもしれんのうと話したりした。

フタはすんだ。各自掘った穴に入り、フタをする。持っていた握り飯を喰う。直ぐ死ぬ身でも腹はへる。戦車を待つがまだ来ん。
そのうち明るくなり、日が出た。私は穴の中からフタを少し突き上げて外をのぞいて見た。
直ぐ下の海には敵の軍艦が沢山居り、陸に向けてドカンドカンと撃ちまくっている。空には小さな飛行機が沢山来てグルグル回って日本軍の行動を見ている。
兵隊の一人でも見ようものなら、地面すれすれまで下りてきて機関銃で掃射する。爆弾を落すからたまらん。
私は静かにフタを下ろして、又穴の中ですわる。戦車の来るのを待つ。そのうち戦車は来ず夜になった。
やれやれと穴から出て背のびする。

それから穴にはいりすわる。外がさわがしいので首を出してみると、味方の兵が交代に来たと言うのだ。
われらは申し送って交代する。私は又戦車に飛込まずに助かった。
私は死に直面すると必ず何かが起こって必ず助かる。今までも不思議に助かっている。

我等交代して元の横穴に下がってきた。
大勢の死体を踏んで陣地内にはいる。次の命令を待つ事になった。私は、朝手を撃たれた西森上等兵を探した。
彼は軍医に診てもらったが、手当を受けて死んでいた。腕や足などの傷で死ぬことはないが、何故か死んでいた。
私は看護兵に頼みて後、自分の分隊に帰り報告した。

陸地の3分の1は占領せられ、残る北部落に向けて敵はジリジリ攻めて来るのだ。
とても勝てる見込みはないが、生きている限りは戦わなければならぬ。
我々の居るこの陣地は山の中を掘りぬいたもので、なかなか広い。いずれの部隊が使用してもよいのだ。
各部隊は、ここからそれぞれ斬込んでいくのだ。我等もまた、直ぐ歩兵の散兵壕掘りに出された。めくら弾丸がとんで来るので危ないこと甚だしい。
今日は陸軍記念日なのに、戦争に休みはない。陣地作りばかりさせられる。
戦争はつらいものなりと思う。
3月11日

昨夜は寝ずに陣地作りをしたが夜が明けた。
3月11日なり。戦争は我軍に不利なり。必死の防戦も空しく段々と押されている。
考えてみると、ここ数日穴掘りや斬込みばかりである。戦死者も多かった。
負傷者も多かった。元気な奴は骨と皮である。まともな兵は居らぬ。第一喰うものがないのだからである。
支那からずっと一緒に戦ってきた谷川政一上等兵も死んだと聞かされた。頭に手榴弾を受けて、鉄カブト諸共頭が飛んだという。
かわいそうな事をしたものだ。この友は出征途中、大阪駅ホームで妻と最後の別れを惜しんでいた兵だが、本当にあれが最後の別れであったのだ。

 

部隊に帰る

私のように生きていれば、次の戦いに出される訳だが、天山も敵が来なくなった。
残った兵を集めて、北部落の陣地に帰る事になった。みんな喜んだ。九死に一生を得て今ぞ部落の部隊に帰れるのだ。
ようやく帰りついた。陣地の中には負傷した者など沢山居った。私等を見て、よく帰って来たと大変喜んでくれた。
これでしばらく休ませてくれると思って喜んでいたが、そうは問屋が卸さん、次の命令が出される。

 

3月13日

私は3月1日付で陸軍伍長に任ぜられていた。死にみやげの進級と思う。
いずれ死ぬのだからその土産だ。果して次の斬込命令が来たのである。

今度は下士官として兵を指揮する事になった。
島は半分取られ、ジリジリ押されて3分の1も残っていないような状況だ。
今度の斬込が我が部隊最後の斬込である。1000に1つも生きて帰れる見込みはない。
必ず死である。今度は生きて
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